人気ブログランキング | 話題のタグを見る

つれづれなるままにFocus

hakoneyama.exblog.jp ブログトップ

日本のビートルズコピーバンドを語る その2 ザ・フライングエレファンツ

「ザ・フライング・エレファンツ」 奇妙なバンド名だが、直訳してみると「飛ぶゾウ」そう「飛ぶゾー」、すなわち「飛躍」を意味している。
今から約15年位前の1994年の事。私がスキーに熱を入れている時で、2月に友人と4人で長野県の乗鞍高原温泉スキーで
スキーに興じ、その帰りに白骨温泉のホテル「泡の湯」に泊まった。
プールの様に大きな野天風呂に入り、部屋に戻って皆で酒盛りをしている時だった。
テレビのチャンネルはNHK教育テレビで、ビートルズ関連の番組が始まっていた。
しばらくすると、「ビートルズの演奏公演の風景」をマネする奇妙な人が出てきた。
「あれ、よく見ると、どこかで見た奴。」よーく思い出してみると、大学時代に一緒にビートルズコピーバンドをやった事のある
宮永正隆君(当時は早稲田ビートルズクラブの部員)ではないか。彼はドラムスのリンゴ役だった。「ウッソー、宮永が出てるじゃん、凄いじゃん」
私は笑いながらもとても嬉しく思った。バンドが終わって以来の久しぶりの再会だった。
(その後、宮永正隆君は星加ルミ子氏ら日本を代表するビートルズ評論家の一人となり、ポール・マッカートニー本人に何度もインタビューしたり、その他活躍し、日本屈指のビートルズ学の権威となった。
現在、「ビートルズ大学」なるものを創設して、ビートルズ学の研究・普及に努めている。著書に「ビートルズ大学」がある。
ビートルズ大学公式サイト http://www.catchup.jp/b4univ/


その宮永君が出た後に、「九州のビートルズ」なるものが出てた。ザ・フライング・エレファンツだった。
確かその時は「No Where Man(ひとりぼっちのあいつ)を演奏していたと思う。コーラスの美しさが印象的だった。
その時はまだ彼らの姿はよく紹介されなかったので、暫くすると忘れてしまったのだが。それから2年位してからの事、
NHKの夜10時の番組「プライム10」に彼らが出てきた。「翔べ!中年ビートルズ・筑豊からカーネギーへ」と云う番組タイトル。
そこで彼らの人物像、バンド結成から現在までが紹介された。
彼らの生まれ住んでいる町は、福岡県田川の川崎市。古くからの炭鉱町で栄えていたが、炭鉱が閉山すると静かな町に戻った。残されたボタ山が町の斜陽化を物語っている。
田川の有名スターと云ったら、フォークの井上陽水氏がいた。
ジョン役のA部さんは美術デザイナー、ポール役のK村さんは学習塾の先生、ジョージ役のT村さんはペンキ職人、リンゴ役の さんは酒屋の若旦那
。働き盛りの4人はそれぞれに仕事を抱えて、その合間にバンド活動をしている。ザ・フライング・エレファンツは活動を始めてからすでに20年以上経過している。
リーダーのA部さんは一時期、本格的ミュージシャンデビューを夢見て上京し、5年間活動したが、夢は叶えられずに故郷の田川に帰ってきた。失意のA部さんを暖かく迎えたのは昔の
バンドのメンバーだった。彼らは再び田川で活動を開始し、現在に至っていた。そんな彼らに降って湧いた様な話が飛び込んできた。
音楽の殿堂、ニューヨーク・カーネギーホールでの公演だった。彼らのマネージャーは彼らの一番の大ファンである町内の電気屋さん。
実はこの電気屋さん、只者では無く、1年以上前からカーネギーホールにザ・フライング・エレファンツのデモ・テープを送って出演要求を打診していた。
カーネギーホールでの日本人公演は五木ひろし他、数名しかなく、日本で無名のザ・フライング・エレファンツには不可能に近いのだが。
でもさすがニューヨーク人は心が広い。「ビートルズ・フェスティバルの夕べ」と云うコンサートで彼らの出演がOKになった。しかも何と、彼らがトリの出演だ。
さあそれからは大騒ぎ。町中で募金活動をしながらバックアップしたり、マネージャーの電気屋さんは自分の家の土地・家屋を担保に銀行に借り入れをしたり、町を挙げての応援で、
ザ・フライング・エレファンツのカーネギー行きが現実のものとなった。カーネギーから音楽監督が来て、サウンド・チェックもした。

そして彼らはニューヨーク・カーネギーの舞台に立った。前期から後期までのビートルズ・ナンバーを演奏した。アメリカン・ロックの大御所レオン・ラッセルも競演した。
演奏する4人の顔は高揚していた。涙ぐむメンバーもいた。そしてカーネギー公演は大成功に終わった。
カーネギーから帰った彼らはまた普通の職業人に戻った。「あくまでもバンド活動よりも仕事が優先」 これが彼らのモットーだ。
番組はここで終わっている。

ザ・フライング・エレファンツはビートルズ・コピーだけでなく、自らのオリジナル曲も数多くある。メジャー・デビューもして「Now My Love」他、合計3枚のオリジナル・アルバムを3枚出した。
カーネギーから来た音楽監督はこう言っている。「彼らはビートルズを教則本にして、自らの感性を加え、すばらしいオリジナル曲を作る。私はビートルズナンバーよりも彼らのオリジナルの方が好きだ。」

今から10年前に彼らが神奈川県茅ヶ崎市のホールでライブをやった事がある。その時は私も行った。生のエレファンツを初めて聞いた。
やはり彼らは凄かった。ジョン役のA部さんの声が本物そっくり(これはなかなかいない)、ポール役のK村さんもポールの高音のボーカルが良く出ている。ジョージやリンゴも雰囲気が出ている。
オリジナル曲も良かった。ジョンとポール、ジョージのハモリもバッチリ。「彼らはビートルズのプロなのだ。」私はこれを強く実感した。

彼らは職業人バンド(いわゆるオヤジバンド)の理想的な姿だ。

ザ・フライング・エレファンツは今でも健在で、九州を中心に活動している。 
詳しくは彼らのHP http://www.the-flying-elephants.net を見てほしい。
by exicitemoon | 2009-06-01 22:27 | Music

山と写真を愛する中年ビートルズの日記


by exicitemoon
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31